PIC_お墓

命日に墓の前に立っても命日の本人は墓にはいないと思っています

姉が23歳で亡くなったとき墓を両親が建立しました。
それ以来姉の命日には家族そろって手を合わせました。
しかし、あるとき両親が永代供養にすると言い出したのです。
それは衰退していく我が家系のことを思ってのことだったと思います。
 両親と姉二人、一か月に四日の命日が毎月めぐってきます。
時々忘れて遅ればせながら手を合わせることもあります。
墓前で一言、ごめんなさいといってあげるお経です。
お経の声がとどいているかどうかはわかりません。
 二日の朝、十二日の朝、二十一日の朝、二十六日の朝、ろうそくに灯をともして線香を立て、お数珠を手にお経を唱えるのが習慣のようになりました。
つまりながら唱える下手なお経、それでも聞いてくれているのでしょうか。
半信半疑に思いつつ、今頃なんと下手なお経だろうとあきれているかもしれないなどと思いながらそれでもお経をあげ続けています。
 自己満足に過ぎないのかもしれませんが、下手なお経をつまりながらあげても心が暖かであればとどいている、そう信じています。
 若いころには一か月に四日もお経をあげる日が来るなどと夢にも思いませんでした。
それが数年前からそんな日々をすごしているのです。
手をあわすことはあってもお経を唱えることなどなかったから、置かれた立場に納得ができなくなることもあります。
 なぜこの家に生まれてきたのだろうっか、どんな役割を担うために生まれてきたのだろうか、いろいろと考えたことがあります。
自分の存在価値がわからなくて長い間悩みました。
悩み続けて35年、その答えがやっと出たように思えます。
 あまり大事に、親切にしてもらわなかったから自分の置かれた立場に納得がいかず苦しみました。
で毒づいたこともありました。
 なんでこんなことをしなければならないのか、あれだけ嫌な思いをしたのにどうして、割に合わないではないか、たくさんたくさん毒づきました。
それでもみんなはも夜空のお星さまになってしまった。
あの嫌なことはもう終わったんだ、そうわかってい入るのですが、心のどこかで許していないのです。
おそらく完全に許すことはできないとわかっているのです。
 そんな数年を過ごすうち、月に四回のお経が日課になり、自分のあげる下手なお経が耳に届き、知らず知らずに自分の心を純粋なものにしていたような気がします。
今は無の境地で墓前に立ち、無の境地でお経を唱え、無の境地で手を合わせています。
そうなった自分に気づいたとき、不思議な気持ちになります。

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