PIC_お墓

同じ宗教を信じている者同士が一緒に入れるお墓に憧れる

以前は、時間的にも余裕が有ったので、キリスト教の夏季キャンプに、友人達と誘い合って良く行っていました。
そのキャンプ場は外国人宣教師の方達と、彼らを送り出して下さった母国の所属教会のメンバー達が来日して下さって、何年かに渡り、時間を掛けてキャンプ場を作り上げて下さいました。
私自身がこのキャンプ場に初めて顔を出した時には、まだトイレを作っている最中でしたが、宣教師の方に、トイレの間取りについて聞かれた事も有りました、やはり日本人と外国人には考え方の違いが有るので、より日本人の方に受け入れられるようなキャンプ場に、作り上げたかったのだと思います。
元々、キリスト教の集会を開いたり、其処に集う方達との交流を目的として建てられたキャンプ場でしたが、キャンプ場の後方の眺めの良い場所には墓地が設けて有り、クリスチャンの方達が亡くなられた際、希望される方は其処に入る事が出来ました。
同じ宗教を尊ぶ者として、もしも自分自身が近い場所に住んで居たならば、このような景観の良い場所に入りたいと思ったものです。
このキャンプ場でお話しして下さった、私がとても尊敬している高齢の牧師の方も故人となられていますが、この眺めの良い場所に眠っていらっしゃいますし、友人の親も同じく入られています。
もう一つのお墓は私自身が通っていた教会の牧師が亡くなった際に、遺骨を納めた納骨堂が、教会のすぐ傍に立てられて居ます。
牧師が亡くなった時には直ぐに駆けつける事が出来なかったので、後日、イースターを祝った際に、亡き牧師の遺骨が納められている納骨堂も開かれたので、眠っている御魂に加護が有るようにと祈った事を覚えています。
宗教は人の心の拠り所で有りますが、死して尚、残された方達には、生前の生き方を通し、又、訴え続けて来られた信条を通し、私達に同じ道を心して生きて欲しいと願われている筈ですから、命日で無くても、尊敬すべき諸先輩達が眠っている墓地に、折に触れて顔を出す事は大事な事で有ると思います。
先人の歴史に学ぶと言う言葉が有りますが、そのような大仰な話で無くとも、自分自身が何かの事で迷った際には、心の対話をする為に、尊敬する牧師が眠っている場所に参る事は、自分自身の気持ちを省みる為にも、又、何方の道に行くべきか歩み出す為にも、亡くなった方と一人で対話する事自体、とても大事な事では無いかと思っています。
それで無くても忙しい現代人社会の中で、心の拠り所となる方を知って居る事は感謝な事だと思っています。

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